【片づけの極意】ひとつひとつ目の前のものを片す、ことが絶望的に苦手だったと気づく
主婦になって、初めて自分の性格の、ある笑えない特徴に気付きました!
目の前のことを、ひとつ、ひとつ、ただこなす、片付ける、ということが、どうやらとてつもなく苦手なのです。
今までの人生、
「全くやらない」
か
「バーっと勢いつけてやり抜く」(期間限定)
かの、ほとんど二つの選択肢のはざまで、のらりくらりと生きてきました。
- 幼い頃のピアノの練習は、発表会の直前だけ猛練習してなんとか帳尻を合わせる。
- 片づけはやらない一択。
- 試験勉強は、直前までやらないけど、お尻に火がついたらバーっとすごい集中力で片付けてなんとか乗り切る。
夏休みの宿題、部活、受験、就活、仕事、婚活と、全てそういうパターンで乗り切ってきました。
親は、私のそういう部分を問題視して、「コツコツやることの大事さ」とかを説いていた気がするんですが、結果的に帳尻を合わせてなんとかなってきたので、自分であまりそれを気にしたことはありませんでした。
でも、初めてその性格で、壁にぶち当たったのは育児と家事。
「全くやらない」か「バーっと一気にやる」の二択で生きてきた身にとって、子供を育てること、家事をすることは、
「フラットに毎日コツコツとその日の仕事をきちんとする」そして「自分のペースでなく生きる」という一番苦手な分野でした。
特に、私が育児で一番しんどい気持ちになるのが、
「子供によって無限に散らかされた部屋を見ること」です。
これが、疲れた夕方だと、もう、どこから片付けたらいいかわからなくて、「アアアゥー!」とプチパニックに。
「一気に片付けたいけど、いまそんな気力ない、どうしたらいいかわからない!」と頭が混乱するんです。
でも、最近、他のママなどを道端でこっそり観察して勉強したんですが(余裕のあるママは何が違うのか)、子供の無限ループの散らかしとか、その他諸々育児や家事で、一気に解決できない問題に(放置ではなく)対して、、、
ひとつひとつ、拾い続けて、こなしていくしかないんですよね。
そして拾い続けていると、それがたとえゆっくりだとしても、自分が思っているより、ずっと短時間に片付くことに、最近気付いた出来事があり。
ご飯の後、子供の椅子やその下の床に、ベタベタに散らかったご飯粒、見るだけでうんざりしてイライラしていました。自分がこれを片付ける、と思ったらとてつもなく途方のない重労働に思えて(本当に主婦適性ないです)。
私がよくやるのは、その場ではうんざりしたままブツブツ言いながら放置、あとでカピカピに乾いたら掃除機で一気に吸い取る、みたいなこと(笑)
でも、子供二人がそのそばでわちゃわちゃ裸足で駆け回り、フレッシュなご飯粒があちこちに拡散していく。。。
流石に観念して、ウェットティッシュでひとつひとつの米粒をつまんで片付けたんです。イライラしながら。すごい時間がかかる、とうんざりしながら。
そしたら、自分が思っていたよりも、ずっと短時間で片付けられたんです。
あれ、と思いました。
ものごとを片付けるって、もっと途方のないものだと思っていました。
一気にやるか、それとも全くやらないか、その選択しかしてこなくて、
「一気にやれない」「すぐに片付けることはできない」
と判断すると、絶望してヒステリックに荒れるか、もしくはさじを投げて見て見ぬ振りか、ばかりしていました。そんな自分にどこか後味の悪い思いもありました。
「ゆっくり、一歩ずつ、ひとつひとつの問題をちゃんと片付ける」
それを、私にはできない、とハナからどこか諦めていた部分もありましたが、もしかしたらやれるかもしれない、やる気さえあれば、できるかもしれない、と思い始めました。
同時に、子育てや家事において「ゆっくり、一歩ずつ、ひとつひとつを片付ける」は無視できないセオリーだと感じています。
とりあえず、荒れた部屋を眺めて叫ばないくらいには、自分を精進させていきたい、というのが今後の目標です。