人生、子育てしててもしてなくても、あっという間だ
もう3月末。
別に、そこまでバタバタしているわけでもなく、どちらかというと日々ダラダラしているはずなんですが。3月です。
4月から、夫の異動、長男の入園、私の職場復帰(週末限定復帰なので、皆さんの復帰に比べればこんなの復帰じゃない!と言われそうですが)、などなどハード面でのイベントが盛り沢山。
むしろ今は「嵐の前の静けさ」ぽい感じのはずなんだけど。
さっき週末だと思っていたら、もう次の週末が!!
早過ぎません?
なんですか?この時間の早さは?
このペースだと、次にハッと気づいたときには、わたし一体何歳?
60歳?還暦?
と、愕然としました。
ブログも、4日、更新があいていることが発覚。
前回ドヤ顔(顔写ってないけど!)で決めたセルフショットを載せた記事
これ、つい昨日書いた感覚でいたのに。。。
こうやって、ブログを書く間隔もあいていってしまうのでしょうか。。
(いや、誰にも頼まれてなくとも続けていきます)
子育てのスピートの速さと、私の人生
たぶん、こんなスピードで生きながら、この数年間の記憶は、ほとんどなくなっちゃうのかもしれません。
だってみんな、「子供が3歳くらいまでの記憶は、もうない。全然思い出せない」て言っている人、多いから。。
今だって、赤ちゃんの頃の長男の写真を見て
「こんな感じだったんだ、へー。へー。」
て自分が「へー」て言っているし!
びっくりするほど、忘れてしまっている。
赤ちゃんだった長男に、自分は何を話しかけて、子供はどんな反応をしていたかとか、そういうことを、全部すっぽりと忘れてしまっている。
ストレスで爆発して大騒ぎしている記憶は、鮮明に残っているのに。。。そんなの記憶してくれなくていいのに。。
こんなものなのでしょうか。
動物として厳しい世界を生存していくために、「辛かった」「危険だった」という負の記憶は危機管理につながるため、「楽しかった」「嬉しかった」というプラスの記憶より深く残るよう、もともと脳の仕組みはなっているそう。
(だから普通に生きていても、「辛かった」「しんどかった」「悲しかった」とかいう思いのほうが、後を引いちゃうようにできている。メソメソしちゃうのは、だから性格ではなくて、ただの人間としての生存本能の一部。そこを理解して、「あ、私、また後引いちゃってる。生存本能だなぁーもう仕方ないなあ」と思うと、ちょっとは深刻にならずに済むそう)
壮絶な恐竜時代にちっちゃいネズミとして、恐竜から逃げて逃げて逃げ回って、やがて逃げ切って進化を遂げていった私たちの祖先。
ネズミは常にテンパって焦っているイメージがありますが、あれが私たちの祖先であり、生存競争を結果的に勝ち残ってきたことを考えると、テンパって焦ることはそこまで罪なのかな、仕方ないんじゃないかな、DNAレベルで。。。と思ったりもします。
子育ての記憶は、自分だけのものじゃない。
脱線しました。
子育ての記憶がなくなってしまうのも、ある程度脳の仕組みのひとつなのでしょう。
だからちゃんと、せめて、写真は残しておきたい。(動画もあるとなおよし)
できれば、自分と子供が一緒に写っている写真。(あ、夫も)
育児日誌も、毎日書いていてよかったと今になって思います。(しんどかったけど)
友達が、
「自分は忘れちゃうけど、周りにいる人がちゃんと覚えててくれるんだよ。だから、じいじやばあば、親戚、友人、先生、近所のおばさんとかにたくさん、ちっちゃいときの子供を見せていれば大丈夫。その人たちの記憶に残るから」
と言ってました。なるほど。
子供は、親だけのものじゃないですもんね。
ワンオペワンオペ言いながら、自分ひとりで育ててきたつもりでいつもいますが、有形無形、色々なひとに手伝ってもらってここまできています。