自分を飼いならす必要性
育児に白旗を上げても、日中は誰も助けてくれない。
親は遠方なので出産の時も手伝いには呼ばなかったし(里帰りもなし)、近所にママ友もほぼいない。
自分がどんな状態であろうと、お腹をすかせたり、暇で遊んで欲しかったり、ただ抱っこして欲しかったり、暑かったり、寒かったり、なんとなく泣いてみたい気分だったり、乳幼児さんたちは生きるエネルギー全開で気ままな生き物。
あなたたち、自分でまだ何もできないもんねえ。かわいそうと言えば、かわいそうだよね。
歩けたら、エアコンのリモコンを操作できたら、勝手にお友達の家に遊びに行けたら、自分の要求をペラペラとスムーズに伝えられたら、こんなに泣く必要もないのにね。
もう少し大きくなったら、学校とかにも行かなきゃ行けないしね。お母さんは、学校とか面倒くさすぎて、今タイムマシンがあって過去に戻れるとか言われちゃったりしても、子供時代に戻りたいとは全く思わない。友達と遊ぶのは楽しかったけど、なんか、いろいろ制約も多い時代だったから。大人になってからの方が楽しい。
それはそうと。まずは現実。
イライラするこの散らかった部屋。
全ての悪い元凶はこれだ!そうだそうだ!と、私は意気込みました。
片付けよう。
乳幼児さんたちに録画しているアンパンマンを見せてひとまず静かにさせてから、私は部屋をうろうろして、とりあえず、ずっと見て見ぬ振りをしていた、床に落ちてるミネラルウォーターの2Lペットボトルを拾ってみました。
いい感じ!
ペットボトル1本拾い上げただけで有頂天。インスタでお見かけする、乳幼児を抱えながら石畳を完璧なオシャレ姿で決めて歩く、子供好きで綺麗好きで友達がたくさんいて旦那も優しくて素敵な完璧ママに一歩も二歩も近づいた気がしてきます。
思うのだけはどこまでも自由なのです。
私は、調子付いてきて、他にも床に落ちていたペットボトル、お菓子の小包装の袋、オムツ、シールの切れ端などを拾い上げてゴミ箱に入れてみる。出番のなかったゴミ箱さんも、なんだか突然大活躍することができて嬉しそう。(子供と遊ぶ影響で、全てを擬人化する癖がついている)
そこで0歳女子が突如泣いた。2歳男子がそばにいる。ちょっかいをかけて、泣かしたらしい。
こらぁ!と怒ると「えー?」と素知らぬふりをする2歳男子。
「別に何もしてないよ?ママだって現場見てないでしょ?」
という表情。
確かに見ていません。
ウヌヌヌヌとなる。
とりあえず火がついたように泣きわめく0歳女子を抱き上げる。泣き声に、耳が痛い。
そんなことで、今日の掃除は終了。