「何事も楽しむきもち」を、人生で持ちたい。そのための修行とは

「なにごとも楽しむことを、心がけてます!」

という言葉、いままで正直、あまりピンと来たことが人生でありませんでした。

特に育児系雑誌とかで、繰り返し出てくる言葉ですよね。

なんとなく、

「もともとポジティブな人が、さらに自分を元気づける類の魔法の言葉なのだろう」

と非ポジティブ代表主婦(しょっちゅう育児ストレスがどーたら言っている)である私としては、かなり「蚊帳の外から」その言葉を眺めていました。

 

 

なんですが、ふと昨夜、子供が寝静まり、明日の弁当の用意などをとぼとぼと終えたとき、ふとシンクの前で

「やっぱり、とりあえず何事も楽しもう、という気持ちを、今からでも身につける価値はあるかもしれない」

と思えたんです。理由は不明(笑)。

(こういう、なんとなく今後の方向性を決定づけるかもしれない思いつきって、台所とか、道ばたとか、ふとした場所で降りてきますよね)

 

もともと幼い頃からペシミスト寄りだった自分。その理由を考えてみたら

「なにかを楽しみにしてたり、すごくワクワクしてたのに、期待に反して結果がよくなかったときの落ち込み」がずとーんと辛すぎて、「楽しもうとする気持ち」に最初からセーブをかけてるところがあるんですよね。傷つきたくないから、最初から傷つかないよ!みたいな。(日本人に多いタイプとみた)

 

だから、まずは「楽しもう」と(なんの事前準備もせずに)ものごとに前のめりになる前に、私のようなペシミスト野郎は、「結果が思ったようでなくても、あまりへこまない精神」を下地として作るほうが先かも、と思いました。

 

その「期待はずれでも、必要以上にへこまない」方法については思案中ですが、たぶん、いちいち引きずらないことが大事な気がします。

引きずらないようにするためには、うだうだとアレコレ考え続ける自分に、どこかでキリをつけたり、「その思考は、ムダ。必要ない」とばっさり引導を渡す訓練をすることが大事かなと思います。

 

そこらへんは、以前読んだ「反応しない練習」

がいい仕事してくれそうな気がするので、また引っ張り出して読んでみようと思います。(内容忘れたので)

 

それにしても、自己啓発本て、読んでるときにはものすごく感銘を受けたり、やるぞ!今から!とメラメラ思えるのに、読んで本を閉じた瞬間から、記憶から ごっそり抜けおちてしまうのはなぜなんでしょうか。。。(たぶん私の読み方がおかしいのかも)