毎日をなにげなく過ごせるしあわせ

お久しぶりですが、元気にやってます!

 

子供達、上の子は小学生になりました。下の子は年中。

ブログを始めたとき、上の子は2歳だったから、早かったような長かったような。。

 

あの頃より、いまのほうが本当に育児は楽。

 

いま0歳児の赤ちゃんスーパーなどで見かけると、ホワホワ〜とした気持ちになって、

「なんて可愛いんだろう」

とじーっと見つめてしまいますが、育ててるお母さんは、たぶん大変極まれりなんですよね。

 

私も1歳の子をベビーカーに乗せてたときに

「いまが一番可愛い時期よね!」

と色々なおじさまおばさまがニコニコ声をかけてくれて、嬉しいのに

「この一番可愛い時期に、肝心の親である私は、可愛いより大変さが上回っていて、こんな良い時期を味わえずにいる…!」

と妙なあせりと不安を覚えたものでした。

 

しかしいま振り返って思うのは、

大丈夫、子供はいつでも今が一番可愛い。。

のでは?ということ。

(まだまだ子育て若輩ものなので、先は分からないですが)

 

 

よちよち歩き始めた時期も可愛かったけど、

いま、新しい社会で色々なことを学び、壁にぶつかり、ちょっと話合えるようになってきた、現在の小学生の子供も、同じくらい可愛い。

 

私に余裕ができた分、今のほうが子供の気持ちに寄り添えるようになった気もします。

やっぱり、余裕大事。

 

あと、最近、脳内の断捨離ができるようになってきました。

(部屋の断捨離はさっぱり進んでませんが。。)

 

私、ずーっと、情報過多だった気がします。

スマホ見始めたら止まらないし、

テレビもニュース番組つけたら、細部までしっかり見ないと気が済まない。

その上、読書も大好き。

野球の試合結果も毎日欠かさない。

LINEも気になる。。(誰からも滅多に連絡こないのに)

 

ただでさえ子育てでヒイヒイしてるのに、無意識に、情報を入れすぎてた気がします。

それに気づいたのも最近。

 

意識して、情報過多にならないよう気を付けたら、ふしぎと肩こりがなくなりました。

 

そして、最近はインプットしすぎた反省から、つらつらと誰に見せるでもない文を紡いで、アウトプットしています。

アウトプットのコツは、現実やノンフィクションではなく、フィクションであること。

つまり、作り物を意識的に紡ぐ。

 

これが、私にとっては強烈なストレス発散効果があることに気づきました。

 

なので、最近はリアルなブログはすっかりご無沙汰ですが、フィクションの世界で私はとっても元気です(笑)。

 

いまは、そういったことができる余裕があること、健康であること、そんなことに感謝しながら、普段のなにげない日常を、過ごしてます。

 

 

 

ちっちゃい幸せ

昨日の日曜日は、本当に文字通りなーんにもせずにだらだら過ごしました。

遅くにのそのそ起きて、日中は、野球テレビで見たり、届いた本読んだり、特に見たくもないテレビだらだら見続けて。

 

子供のお世話も、夫におまかせか、超適当な返事で、いい加減(笑)。

 

そしたら、なんだか、とっても楽で、

ずっと体をしめつけていた、きついホックが外れたかのような、ちょっと最近感じたことのない種類の解放感が…!

 

あー

 

コロナくらいから、ずっと、「しっかりしなきゃ」とか、色々思っていて、

それ以外にも、自分では解決しようのない類の問題抱えてたりして、

とにかく

 

「きちんと生きていなきゃ、もう、世の中に食われる」

 

ぐらいに、ずっと、気を張っていたかもな、と思いました。

 

昨日、気の済むまでだらだらしたせいか、今週は、体が重たくないスタートを迎えることができました。

 

元来の性質である、面倒くさがり、ずぼら、だらだらした性質、を余すことなく発揮できた週末のおかげで、自分が自分であることを、認められたような、

なんともいえないちょっとした幸せを感じました。

 

自分の生来の性質をのびのび出す場がない状態が続くと、

人は壊れる、

だから、

 

こういう、だらだらした、だらしな〜い週末の時間って、大事かも。

 

そして、だらしない状態を放っておいてくれた家族にも感謝。

 

私も、他人のだらしなさに、もっと寛容にならないと。

 

今日買った絵本。

 

益田ミリさんの

「はやくはやくっていわないで」

 

 

 

 ずっと欲しかった絵本。

子供のためというより、自分のために買いました。

 

 

 

 

 

おひさしぶりの日記

気づいたら、半年もブログサボってました!

元気です!

ここ数日、ぐっと涼しくなってきて、気持ちも心もほっとしています。

 

猛暑の夏だっただけに、この秋の涼しさが、余計優しく心に沁みる…。

 

さて、半年。

コロナだなんだ、で色々心身ともにざわついていてましたが、実は下の子が、幼稚園に入園しましたー!

 

といっても、1学期は、短縮につぐ短縮登園のため、下の子が幼稚園に入園して、イヤッホーーーーーみたいな気分は皆無でしたが、

9月から、ようやく通常登園に。

 

で、もっとイヤッホウーなるかと思ったら、

なんか、ただただ、慣れなくて、ただただ、ムズムズしてます。

たぶん、正真正銘の貧乏性というか、慣れない自由な時間に、ただただうろうろしている感じ。

 

 

そんなもんですかね。

 

 

今年は、コロナ禍の中で色々なことを考えてました。

 

人に会えないと、やっぱりしんどいですね。

 

特に、人に助けを求めることが難しくなるなあ、と感じました。

同じように、助けを求める友人に会って、話を聞くこともできない。

 

今までも、人に頼ることがとても苦手だったけど、

コロナだと、さらに、助けを求めることが難しくなる、という現実を見つめました。

 

頼られ上手でもありたいけど、頼り上手にもなりたいなあ、と思いました。

 

子供には、困ったら人に素直に助けを求められる人になってほしい。

 

なので、自分も、人に助けを求められる、素直さと強さを持ちたいと思っています。

 

 

 

 

感謝すること、歓喜すること

みなさん、お元気ですか?

コロナの着地点が見えませんね。

私はおおむね元気です。

 

春だけど、今年は花粉が全然平気。

薬をあまり飲まなくても平気で過ごせています。

 

ただ、あまり外出はせずに家にこもりがちなのですが、やはり家の中で元気300%の子供達といると、なかなか煮詰まります。

 

あまりにもドタドタ走りまわるので、

「おうちの中では走りまわらないよ!」と注意すると、上の子が

 

「その話は聞き飽きたから言わないでほしい。走らないなんて無理だ」

と切り返してきました。(笑)。

 

うーーーーーーん。

そりゃ5歳男児には、動く=走り回る

かもしれないよね。

 

言っている私も辛いのです。

走りまわっちゃだめ、というのはマンションで周りにご迷惑かけちゃいけないと思うから。

 

一軒家だったら、誰にも迷惑かけない広い土地なら、ここまで神経質に叱らなくてすむのかな…と思うと、

 

一軒家買ったほうがいい?都心離れたほうがいい?

とか極端な発想になってしまい

(家にずっといるとどうもそういう極端な思考になっていきますよね)

悶々としています。

 

そんなこんなで、どうも、家にこもるのが好きと言いながら、

家にずっといると思考が思いつめた方向になっていくので、

私はなんだかんだ家から出て活動しているほうが良いのかもしれない。

 

最近、気分よく過ごすにはどうしたら良いのだろう、と考えていたときに読んだ本の中で出会った文章。

 

「人間はこの2つのものだけ持っていれば、幸福な人生が約束されている」

 

 

その2つ、なんだと思いますか?

 

「感謝」と「歓喜」だそうです。

 

ああ、なるほどなあ、と思いました。

 

子供が通っている幼稚園の園長先生が、園長先生という領域を超えたなにかオーラを持っている先生で、

私がいままで出会った人のなかでおそらく一番深い言葉を紡いでくれる先生なのですが、その先生の生きる姿勢が、まさしくこんな感じ。

 

苦しいときに、それを喜び、とか感謝、と捉えるのは難しい。

ただ、その場ではそう思えなくても、いつかそれがよろこびに変わる、そう信じて生きましょう、と今回の混乱のさなか、先生は修了式でスピーチしてくれました。

 

園児に言っていたけれど、私たち親に向けた言葉でもあった気がします。

 

40すぎたネガティブ人生王道な私が、いまさら感謝と歓喜を人生の中心に据えるのは、なかなかハードル高い気もしますが、

子供達は、ぜひ、感謝と歓喜を人生の中心に据えて歩いていってくれれば、親にとってこれほど嬉しいことはないと感じてます。

 

 

 

今年も始まりました。近況と不惑について報告。

こんばんは。元気です!

 

昨年は、ブログの更新頻度が減りましたが、おおむね元気に過ごした1年でした。

 

最近、不惑を迎えまして不思議なことに、なんだか少し気持ちに変化が。

 

思えば20代は、人の目を気にしながらも、なんだかんだ好き放題生きた年代でした。

 

30代は、ただただ苦しかったです。

 

人の目を気にすることを継続しつつ、好き放題にはなかなかできず、うまくそのバランスを取れないまま、モヤモヤし、自分を責めることが多かったです。

 

そして、ついに40代。

 

おばさんというのは、カブトムシが脱皮するように何かを脱ぎ捨てて、おばさんへと変身する。

というのを、なにかで読んだことがあります。

 

40代がおばさんがどうかは、一概には言えないところですが、とりあえず私は、特に何か意識したわけではないのだけど、

人の目が結構、「どうでも良い」傾向が強くなってきて、脱皮した感があります。

 

たとえばファッション。

20代は、割とエッジの効いた服を着ていたのですが、

30代はとにかくシンプル、動きやすい、浮かない、

をモットーに服選びをしていました。

でも、内心すごくつまらなかったのです。

 

最近、20代の頃のスピリットに回帰するような、ちょっとクセのある服を再度着るようになってきました。

 

そうしたら、なんだか、「体の中を風が通り抜けるよう」な感覚があって。

 

戻ってこれた。

 

というか、

私のこの先には新しい未来がまだまだ待っている、

という気持ちになれたのです。

 

ここ数年、子供を交えた交友関係が広がり、

色々、無理をすることも増えていました。

 

ひとつひとつは小さなことだけど、ストレスになっていて。

 

そこを見つめ直したときに、

子供関係の交友関係って、自分的には

「子供のため」

無理してるのかなーと最初は思っていたのだけど、

それよりも

私自身が意外と、頼りにされたり認められたり(賞賛されたり)、好かれたりすることを、強く求めているんじゃないかな、と感じたのです。

 

この気づき、はじめは認めたくなかったけれど、たぶんそういうことだな、と観念しました。

 

自分が求めている承認欲求と、向き合わなきゃいけない、と。

 

自分の(認めたくない)承認欲求を認めてしまったうえで、

 

「で、あなたの求めているその承認とやらで、あなたが頑張って、その「子供関係のひと」たちに結果として認められたとする。その先はなに?」

 

と思うと、

 

「一瞬嬉しいけど、それ以外は、ない」

 

という結論に。

 

そう思ったら、「他のことにそのパワー使ったら」とスッと思えたのです。やっと。

 

もう少し若かったら、私はもっと、この問題について悪あがきしていそうな気がしました。

 

不惑を迎えてなんだか、元気で動き回れる残りの時間とかふとリアルに考えると、

人の目よりも、人の思いに応えるよりも、自分の本当の気持ちを考えよう、

と思えました。

 

そういうわけで、40代は、いままではちょっと違った感じで進む予感。

 

楽しくをモットーに、駆け抜けていきたいです。